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2024.8/2[金]3[土]4[日]

開催

安城七夕まつりの歴史

安城七夕まつりのはじまり

終戦後の、どこか暗い雰囲気のあった1945年(昭和20年)。まちの商工業の活性化を図ろうと1950年(昭和25年)に商工館が開館、農業中心のまちであった安城で商店街の大売り出しを行ったり花火大会が行われたりと、人とまちの交流が活発になっていきました。

こうしてまつりの下地が育っていく中で、1952年(昭和27年)に市制が施行され安城市が誕生すると、まつりももっと盛大なものにしようということから七夕まつりの企画がスタート。他市での七夕まつりを視察したり資料を参考にしながら準備をし、1954年(昭和29年)に第1回目「安城七夕まつり」を開催するに至りました。

駅南の商店街が足並みを揃えて飾り付けや催し物に取り組んだ結果、商店街にはたくさんの人が集まり活気があふれ、好評のうちに3日間のまつりが終了。この成功を受けて以後継続して行われるようになり、今では安城市の大規模な夏の祝祭イベントとして、また「日本三大七夕」のひとつとして広く全国の人々に知られるところとなりました。

安城七夕まつりのあゆみ

1954年(昭和29年)にスタートした安城七夕まつりは、その企画や開発などのすべてが現在のJR安城駅周辺商店街の人々によって行われた「市民発信のまつり」でした。大きな竹飾りをひとつひとつ手で作ったり、ステージでの催し物の準備をしたり、誕生以来まつりに参加する人や地区は増え続けていき、1959年(昭和34年)には安城七夕まつり協賛会が結成されて今日のまつりのスタイルができあがりました。

さらに1978年(昭和53年)には、日本商工会議所100周年記念の「全国郷土祭」においてこだわりの竹飾りを披露したことから、仙台・平塚と並んで「日本三大七夕」として称されることとなり、名実ともに日本を代表する七夕まつりとなりました。

日本三大七夕となっても、市民の手でつくられるまつりの姿に変わりはありません。まつり前夜、市民によって飾り付けられる風情たっぷりの竹飾りは、まつりにはなくてはならない風物詩として親しまれています。またマーチングパレードや市民グループによるダンスバトルなど市民参加の多彩な催しも行われ、期間中は延べ100万人を超える人々が真夏の夜の夢世界を楽しみます。

「日本三大」から「願いごと日本一」へ

日本には仙台、平塚を始めとしたいくつかの「七夕まつり」があります。しかし、なかでも安城七夕まつりは、竹飾りのストリートが日本一長いと言われ、同様に短冊の数、願いごとに関するイベントの数も日本一であると思われます。これこそが安城七夕まつりの長年にわたる歴史の中で培ってきた財産。そこで2009年から「願いごと、日本一。」をキーワードに、今まで以上に願いごと関連のイベントを充実させました。

日本一の第一歩である2009年は、会場にも願いごとにこだわりました。2008年までは「お祭り広場(更生病院跡地)」という名称で盛り上がりを見せていたメイン会場は、2009年からは「願いごと広場」へと改称。そこでは、すっかり恒例イベントとなった「願いごと短冊」「願いごとふうせん」。そして2009年からは新イベント「願いごとキャンドル」がお目見え。これらの「願いごと三大イベント」以外にも、期間中だけの七夕神社、公式キャラクター・きーぼーの本拠地など、見逃せないコンテンツでいっぱいです。

これらはすべて安城七夕まつりを「日本三大七夕まつり」から「日本一の七夕まつり」に進化させるという思いから生まれました。願いごとに関することではどんなことでも日本一を目指す。そして「安城七夕といえば願いごとだよね」と言ってもらえる、願いごとの聖地にしていきたいと思っています。